Julian Haart

ユリアン・ハールト

ドイツ/モーゼル

ドイツの二大巨頭に並ぶ新星

ドイツワインを語るうえで最も偉大な生産者は、と言われれば、多くのワインラバーがザール地方のエゴン・ミュラーとラインヘッセンのケラーと答えるだろう。モーゼル地方で最も長い歴史を持つ家系の一つと言われるハールト家に生まれたユリアン。料理人としてキャリアを開始したが、間もなくワイン造りに情熱を見出すこととなる。ナーエ地方のヴェルナー・シェーンレーバー、モーゼルのハイマン・レーヴェンシュタインで経験を積み、ザール地方ではエゴン・ミュラーのシャルツホーフの神話的なワインと出会う。そして彼に最も大きな影響を受けたのが、ラインヘッセンのクラウス・ペーター・ケラーのもとで過ごした2年間であった。この経験は彼のワイン造りに決定的な影響を与え、現在でもケラー家との深い絆を築いている。サッカーカタールW杯のファーストクラスおよびVIPラウンジでは、参加国のトップワイナリーのワインが提供された。ドイツから選ばれたのは、ケラー、エゴン・ミュラー、そしてユリアン・ハールトであった。

完璧主義者の創り出す傑作

上記の2生産者に次いで、2010年のデビュー以来、瞬く間に世界中のワインラバーとコレクターの垂涎の的となったユリアンだが、その世間の評価に対して彼自身に対する評価はびっくりするほど厳しい。テイスティングをしていると、「ここをこうすればもっと良くなった」「この点では失敗した」「次はこうするべきだった」と改善点を語ることが多い。彼のワインを飲めば、そんな性格が理解できる気がする。出来上がるワインはフレッシュさとスレート由来のミネラル、低いアルコール度数ながら非常に高い密度感と複雑さがあり、バランスに優れている。現在5 haの畑を所有し、すべてを自分たちで管理している。完璧主義の彼にとって、彼と妻のナディー、そして時々ごく数人の友人たちの手を借り、手作業で管理することが非常に大切である。「ほぼすべての作業は手作業で行わなければならない。なぜなら、ほとんどは驚くほど急勾配で、多くは段々畑になっているからだ。畑を歩くだけでも危険が伴う。私たちが大切にしているのは、妥協のない手作業と、持続可能で責任ある畑の管理。だから今の生産量が限界でこれ以上は増やせない」と語る。

歴史が動き出す場所ピースポート 

「今や別の祝祭の行列が、このブドウ畑の劇場へと足を踏み入れようとしている。バッカスの贈り物がさまよう眼差しを魅了することだろう。そこでは、急斜面の上にそびえる壮大な頂、岩の群れ、陽光を浴びる斜面、蛇行する地形の折り重なりがブドウの冠をまとい、まるで自然の舞台のように天へとそびえ立つのだ。」西暦371年、ローマの皇子の教育係であったアウソニウスが、ピースポートの上に広がるワイン畑を目にして、この感動を表現したとされる詩(VDP格付けカタログより抜粋)。かつて偉大な甘口ワインの産地として知られたこの場所から、ミッテルモーゼル(中部モーゼル)の歴史を動かす高品質な辛口ワインが生まれている。

生産者ストーリー

【歴史を背負い偉大な生産者たちに並ぶ新星、古典的モーゼルの新たな解釈】

インポーターを始めるにあたって様々なワインをテイスティングしているが、ユリアン・ハールトほど即決で取り扱いを希望した生産者はいない。生産者のバックグラウンドを知らず、その液体と必要以上に目を引くクラシカルで鮮やかな赤いラベルと向き合った。そして、このワインがまだ日本に輸入されていないことを幸運に思ったと同時に、日本のワインラバーに広まっていないことを残念にも思った。しかし、生産量の少なさと世界中のコレクターたちによる熱狂的な需要の高さを考えれば当然だったのかもしれない。

ハールト家は1337年からモーゼルのピースポートでワイン造りを行っており、モーゼル地方で最も古いワイン生産者の家系の一つとされている。ユリアン自身は料理人としてキャリアを開始。トリーア近郊のハラルド・リュッセルのもとで学び、その後クラウス・エルフォルト(当時ドイツ国内でわずか10名しかいなかった三つ星シェフの一人)のもとで修業を積んだ。しかし修業中、レストランのオーナーがテイスティング用のワインをスタッフと共有し、意見を求めていたことがきっかけで、彼は間もなくワイン造りに対する情熱を見出すことになる。ナーエ地方のヴェルナー・シェーンレーバー、モーゼルのハイマン=レーヴェンシュタインで経験を積み、ザール地方ではエゴン・ミュラーのシャルツホーフの神話的なワインと出会う。そして彼に最も大きな影響を受けたのが、ラインヘッセンのクラウス=ペーター・ケラーのもとで過ごした2年間であった。この経験は彼のワイン造りに決定的な影響を与え、現在でもケラー家との深い絆を築いている。

2010年、彼は実家に戻りハールト家の30代目としてワイナリーを引き継ぐ。モーゼルのグラン・クリュ、ウィントリッヒャー・オリヒスベルク(Ohligsberg)の0.8 haの区画を購入する。その後、75年以上の樹齢を誇る段々畑のゴルトトレプヒェン(Goldtröpfchen、「金の雫」)の一角や、100年以上の樹齢を持つ自根のブドウが育つシューベルトスライ(Schubertslay)を購入し徐々に畑を広げていった。ユリアンがワイン造りを始めた当時、ワイン評価誌ワイン・アドヴォケートで執筆していたデヴィッド・シルトクネヒトは、ユリアンについて次のように書いている。「ユリアン・ハールトほど最高のスタートを切ったワインメーカーはそう多くない。しかし、彼と何度か話をするうちに、彼の完璧主義が厳しい自己批判と常に共存していることを確信した。そのおかげで、彼が成功に溺れることはないだろう。」この彼の言葉はまさにその通りで、彼は大抵の場合「ここをこうすればもっと良くなった」「この点では失敗した」「次はこうするべきだった」といった話が必ず出る。常に改善点を探し、完璧を追い求める姿勢は他の生産者と比較しても群を抜いているように思う。海外の彼に関する記事では必ずと言っていいほど、「ライジングスター」「トップワインメーカー」「ワインエリート」といった言葉が含まれる。だが、実際の彼はそう呼ばれていることを全く知らないか、知っていても一切興味が無いかのような極めて職人的な人物だと感じる。

2018年ヴィンテージからユリアンはシューベルトスライの畑をケラーに譲った。この畑はユリアンがジェームズ・サックリングとジョン・ギルマン(View from the Cellar)から100点満点を獲得したアウスレーゼを生み出した場所だった。その代わりに、彼はケラーの協力を得てラインヘッセンのニーダーフレールスハイムとメルスハイムの区画で少量のワイン造りを始めた。現在は5 haの畑を所有し、すべてを自分たちで管理している。完璧主義の彼にとって、彼と妻のナディー、そして時々ごく数人の友人たちの手を借り、手作業で管理することが非常に大切である。「ほぼすべての作業は手作業で行わなければならない。なぜなら、ほとんどは驚くほど急勾配で、多くは段々畑になっているからだ。畑を歩くだけでも危険が伴う。私たちが大切にしているのは、妥協のない手作業と、持続可能で責任ある畑の管理。だから今の生産量が限界でこれ以上は増やせない」と語る。 

ユリアンはクヴァリテーツヴァイン(Qualitätswein)と プレディカーツヴァイン(Prädikatswein)という2つのカテゴリーでワインを生産している。特筆すべきことに、ユリアンはプレディカーツヴァインにおいてカビネットに注力している。プレディカーツヴァインの中で最もエクスレ度の規定が低いカテゴリーであるが、それでもユリアンのワインが凝縮感と複雑性を備えているのはブドウの糖度よりも、アロマや果皮の成熟に重点を置いているからと感じる。熟しても酸の高さを保つリースリングという品種において、この熟度を感じさせるスタイルが彼のワインの特徴であるバランスの良さを際立たせているように感じる。また、それらが異なる区画や樹齢を表現しているのも興味深い。

ワインは、透明感があり光沢のある果実のピュアさを持ち、口の中を鋭く駆け抜けるような酸を備えている。スタイルはクラシカルなモーゼルのリースリングではあるが、その伝統を踏襲しつつもより高次元で表現しているように感じる。ブドウの熟度の高さとアルコール度数の低さ、そしてワインとして表現された際のフレッシュさ深遠な奥行き。急斜面の土壌と、細かく砕かれたスレート(粘板岩)による影響が大きいのだろうが、それでもここまでのワインが生み出されることが不思議でならない。  

DATA

造り手:ユリアン、ナディー・ハールト

国/地域:ドイツ/モーゼル

栽培面積:5 ha