Domaine de l’Horizon

ドメーヌ・ド・ロリゾン

フランス/ルーション

奇才との邂逅が生んだ、理想の原点 

ドメーヌ・ド・ロリゾンは2006年にドイツ出身の二人、トーマス・タイバートとヨアヒム・クリストによって設立された。フランスのレストランで働いていたヨアヒムが、当時ガイゼンハイム大学の学生でありながら圧倒的な味覚を持ち、プロとしてワインの営業やワイナリーのコンサルタントを行っていた奇才トーマスに惚れ込み、二人はワイナリー設立という夢を持つようになる。卒業後、トーマスはオーストリアやイタリア南チロルのワイナリーで経験を積み、オーストリアの樽メーカーストッキンガーのドイツにおける代理人も行っていた。そんなある時、スイスのワインイベントで友人が出した一杯のワインに衝撃を受けたトーマスは、そのワインがルーション・カルスのワインだと知り、その足でカルスへと向かった。そこで目にしたのは人口200人の小さな村と、400 haに広がる古樹のブドウ畑、そして魅力的な土壌であった。「世界中に古樹の畑はある。しかし、これほど広範囲に、しかも若樹がほとんどなく、すべてが古樹という土地は見たことがない」と、この地に一気に魅了される。そうして政府の補助金が下りる最小限の畑15 haを購入し2006年の冬にワイナリーを設立。2007年からワイン造りを開始した。

隠れた偉大なテロワールで進む新たな潮流 

ルーションは、長く“南フランスの低価格・大量生産のワイン産地”という認識をされてきた。しかし、過去20年でその土地の安さから、高品質なワイン造りを目指す野心的な若手生産者が集い、注目を集めてきた。ロリゾンが拠点を構えるカルスはペルピニャン北西、地中海とピレネーの狭間に開いた小さな村。ここは地質学者の夢のような場所だと言える。褐色や黒のスレート、鉄分を含む赤いマール、そして浅い表土の下に露出する石灰岩の母岩、氷期の造山運動が折り畳んだ複雑な地層が、畑ごとに異なる表情を見せる。海風と山からのトラモンターヌ風が交互に吹き付け、病害を抑えビオディナミ栽培を可能にし、果実の温度を下げ、酸を守る。南フランスでありながら、きめ細かい涼しさが残るのは、この風の影響が大きい。カルスの畑には、樹齢80–100年を超える古樹が珍しくない。自根や古い接木の株仕立てが岩の裂け目を縫うように根を下ろし、干ばつの年でも地中深くの水脈とミネラルへ到達する。引き換えに収量は平年で10–20 hL/haと劇的に低い。この地には“カルス派”と呼ばれる小規模な造り手たちが存在する。数十年前、ジェラール・ゴビーがビオロジック栽培へと舵を切り、セラーでの人為的介入を極限まで抑え、テロワールの純粋な表現を追求したことが発端だった。その流れを汲み、カルスには非介入主義と純粋表現を志す小さなドメーヌが集まり、ワイン界でも稀に見る情熱的で思想的な造り手の集団を形成している。その中心にいるのが、ドメーヌ・ド・ロリゾンだ。

トレンドではない本質、30年後にも美しく佇むワインを目指して 

ロリゾンの哲学は「介入しないための精密な介入」。畑は創業当初からビオディナミ農法を実践し、醸造では技術的介入や亜硫酸の使用を極限まで抑えてきた。現在はBiodyvin協会に加盟し、オーガニック認証も取得している。除草剤は用いず、草は敵としてではなく過剰な競合をする場合のみを間引く。プレパラシオンとコンポストで土中の微生物環境を耕し、作業は月齢・風・天候のリズムに合わせて細かく調整している。主体は古樹のマカベウ、グルナッシュ・グリ、カリニャン、グルナッシュ・ノワール、シラー、少量のミュスカ。「ブドウの凝縮感は摘み遅れでは得ない。古樹×低収量という“畑の濃度”で得るのが原則」と語る。手摘みの収穫と徹底した選果。醸造は区画・土壌・樹齢ごとに分割し、コンクリート、ステンレス、オークを使い分ける。発酵には野生酵母を使用し、抽出は控えめで、必要に応じて全房を用いて通気と質感を整える。清澄・濾過は基本しないが、必要に応じて軽い濾過を行うこともある。「私たちは市場でたまに見られる亜硫酸無添加や無濾過信者ではない。造りたいのは30年後にも美しく佇むワイン。そのために必要であれば最小限使用する。私たちにとっては完成したワインの品質が全てで、リンゴジュースやザワークラウトみたいな味にはしたくない。」目指すのは“飲み心地”と“洗練性”であり、南仏という土地から最初に想起される“力強さ”や“重さ”とは正反対の要素である。だが、テロワールの巨匠ジェラール・ゴビーのワインが示したように、この地の畑が放つ“涼やかでエレガントな”表現力はすでに知られるところだ。ロリゾンのワインも、古樹の魔力と痩せた土壌の緊張感、トーマスという奇才の存在によって“偉大なワイン”と呼ぶにふさわしい存在となり、瞬く間にカルト的な人気を博した。

生産者ストーリー

古樹が導いた奇才 ― 本質のワインを追い求めた道

イタリア・ボローニャで開催された Slow Wine Fair。環境への配慮と土地への敬意を軸に、サステナブルな生産者だけが集うこの場で、ボルドーのシャトー・ブラナ・グラン・プジョーと並び、忘れがたい出会いがあった。会場入口でキアラ・コンデッロに挨拶を交わすと、彼女はある生産者を強く推した。「この生産者のワインを飲んでみて。きっと気に入ると思う。」向かった先は Domaine de l’Horizon のブース。開始直後から人だかりが絶えず、ようやく辿り着いたグラスの一口で、推薦の理由は明白になった。重力ではなく、土地のエネルギーで持ち上がるようなワイン。グラスの中に広がるのは、南仏の陽光ではなく、透明な風と土壌のエネルギーそのものだった。その瞬間、この造り手の物語を知らなければならない、そう直感した。

ドメーヌ・ド・ロリゾンは2006年にトーマス・タイベールとヨアヒム・クリストによって設立された。ドイツのハノーファー出身で料理家の家系で育ったヨアヒムは幼いころから料理人を目指し、職業訓練学校に通いながらハノーファー、バーデン=バーデン、メルキュレイ、シャニーなどのレストランで研鑽を積んだ。フランスの食文化の高さに感銘を受けたヨアヒムは生活の拠点をフランスに移した。星付きレストランで働きながら次第にワインにも興味を持ち始めたヨアヒムは半年間ある大手ワイナリーに住み込みで働くこととなる。1992年、彼の人生を変える大きな出会いがある。それがトーマス・タイバートとの出会いだった。

ヨアヒムは振り返る。「彼は当時ガイゼンハイム大学の学生で、ピノ・ノワールのテイスティング用のワインを探していると私に電話をかけてきた。そこから交流が始まった。ある時、トーマスに招かれてドイツでのテイスティングに参加し、衝撃を受けた。学生の彼は20種類のワインを、短い言葉でありながらそれぞれの特徴を的確に言い当てていく。その瞬間、私は悟った。自分はこれまでワインを知っているつもりで、実は何もわかっていなかったのだ」と。

その夜、ヨアヒムはヴィースバーデンの高級レストランで知人と食事の予定があった。「なんとか今後も彼とコンタクトを取り続けたいと考えていた時、彼から“同じレストランに行く予定だ”と聞かされた。学生が気軽に行ける店ではないことを知っていたので不思議に思った。だが店に着くと、彼はスタッフ全員と自然に挨拶を交わし、“昨日も来たのに今日も来たのか”と言われていて、あっけにとられた」と当時を回想する。トーマスは学生でありながら、ワインの営業や各地ワイナリーのコンサルタントとして正式に仕事を請け負っていたという。「彼は学生時代から自ら徹底して学び、良いワインを数多く飲んでいた。」これを機に二人は親交を深め、ヨアヒムは当時勤めていたレストランにトーマスを招いた。「私が料理を作るから一緒に飲もうと誘った。すると彼はワインリストの90 %を“飲めたものじゃない”と言い切った。遠慮はないが、誠実で嘘をつかない。だから信頼できる。」以後、トーマスが幾人もの優れた造り手を紹介し、その助言に基づいてヨアヒムが仕入れを進めることで、ワインリストは一気に進化した。二人の関係はこうしてさらに深まっていく。

卒業後、トーマスはオーストリアのグラフ・ハーデッグで働いた。1994年、彼はオーストリアの樽メーカー、ストッキンガーに出会い、ドイツにおける代理人となって次第にフランツ・ストッキンガーの至近で働くようになる。「彼は木の職人なので、私が会社の“ワイン担当”を務めた。ブレンドやトーストを提案し、共に仕事を進めた。私たちはワインにオークの味が出るのを好まなかったため、他に先んじて“ウルトラ・ライト・トースト”を作り上げた。最初は『なぜバリック香のしない樽に高い金を払うのか』と言われたが、徐々に顧客を獲得し、他市場にも展開できるようになった。」

その後トーマスは、イタリア南チロルのManincorへ移り、醸造責任者として当時ヨーロッパ屈指の美しいワイナリー像を築き上げる。建築面でもサステナビリティの観点でも先進的だった。ヨアヒムは棚職人としても仕事をしており、同ワイナリーに木製ワインラックを納品した。やがてトーマスはManincorの代表として、スイスで開催されたWorld Wine Festival of Tralalaに招かれる。そこで友人の一人が差し出した一杯を、トーマスは一口飲んで息をのむ。「なんて素晴らしい。これほどの凝縮、北ローヌだろうか」と。返ってきた答えは「いや、南フランス、ルーションのカルス。造り手はジェラール・ゴビーだ」。トーマスはすぐにゴビーのブースを訪ね、「南仏でどうすればこのワインが生まれるのか」と問いかけた。二人はその日のうちに意気投合し、トーマスはスイスからそのままカルスへ向かった。目の前に広がっていたのは、人口200人ほどの小さな村と、約400 haに及ぶ見事な古樹畑。石灰質、黒・青のスレート、鉄分に富む赤土―多様な土壌が折り重なる光景だった。トーマスは「世界中に古樹の畑はある。しかし、これほど広範囲に、しかも若樹がほとんどなく、すべてが古樹という土地は見たことがない」と語り、この地に一気に魅了される。

当時、ヨアヒムとトーマスは共同でワイナリーを始める構想を練っていた。当初はアルザスやボジョレーも候補だったが、資金面の課題で難航。しかしカルスとの出会いが、ふたりの目的地をあっさり決定づける。「畑は荒廃し、ビオでもなかったが、1 haあたり5,500–8,000ユーロで購入できた。政府の補助金の対象になるには最低15 haが必要だったため、私たちは15 haを取得してDomaine de l’Horizonを設立。2006 年の冬に創業し、2007 年が初収穫だった」と当時を振り返る。立ち上げ当初の計画はGrand Vin BlancとGrand Vin Rougeの2種のみ。しかし畑の整備を進める中で、シラーやミュスカといった当初想定していなかった品種の混植が判明し、新たなラインEsprit de l’Horizon(エスプリ・ド・ロリゾン)が生まれた。

彼らのブドウ樹は80–100年超の古樹が大半を占め、収量は常時10–15 hL/haと極端に少ない。創業当初は人手も資金も限られ、植え替え(補植)に踏み切れなかった事情も重なる。結果として、良年でも12–15、せいぜい17 hL/ha程度、厳しい年には10 hL/haにとどまることもある。隣接区画に畑を持つジェラール・ゴビーは補植を適切に行い、常駐スタッフ3名体制で臨むため25–30 hL/haを確保するが、それでもこの地では多い部類に入る。「以前シャブリに行ったら、彼らは“収穫量が少なすぎる”と嘆いていた。それでもプルミエ・クリュの区画で45 hL/haだよ。彼は涙ぐみながら言った。”こんなに少ない年は初めてだ。割り当てを前払いしてもらわないと”って。」

ロリゾンは今後わずかに植え替え(補植)を進め、25 hL/haを下回らない持続的なバランスを目標に据える。「レストランの皿出しのようなもの。手間は同じでも、もらえる対価はほとんど変わらない。ゆえに最終的には“ロマン”と“経済”の均衡が問われる。―古樹、優れた畑、情熱―、響きは美しい。しかし現実に継続するには、どこかで帳尻が合わねばならない。ボトルを100ユーロで設定すれば計算は整うかもしれないが、市場の受容は難しくなる。そこで私たちは創業時に、”このワイナリーは利益目的ではない”と誓約を書いた。これまで自分たちが批判してきたワインに対し、“本来あるべき姿”を自らで証明する場所とすること、古樹を100 %守り抜くこと、そして経営は黒字ぎりぎり(=利益ゼロ)でよいという覚悟である。富は求めない。その代わりに得られた評価は計り知れない。」現在、持続可能な経営をしていくために運営体制を見直している。他にもスタッフを雇い、明確な役割分担と信頼関係の構築を進めている。2020年からはエマニュエルが醸造チームに加わり、トーマスとともにワイン造りを行っている。2023年にはエマニュエルが醸造責任者となった。

長く大量生産の低価格ワインの産地として知られてきたルーションでは、その土地の安さから過去20年で品質に重きを置いた若い生産者が多く誕生した。優れた土壌、乾燥した土地、豊富な日射、古樹、高品質なワインを生み出すための多くの条件が揃っているが、一方で市場の許容が追い付いていないと彼らは感じている。その分、驚くほどの品質を、驚くほど手頃に得られる”と評されるのは事実である。「僕らの拠点はルーションだ。ここではワインの価格に“上限”がある。たとえば、もし僕が品質的には200ユーロの価値があるワインを造ったとしても、市場ではせいぜい75ユーロにしかならない。なぜなら、ルーションで最も高価なワイン、たとえばジェラール・ゴビーの“Muntada”のようなワインの価格が市場の上限を決めているからだ。それがマーケットの現実だ。つまり、ルーションでは、エントリーレベルのワインは7-12ユーロ、ミドルレンジがだいたい20ユーロ前後、トップレンジでも40ユーロ程度が相場なんだ」とヨアヒムは現実を語る。一方で、長い時間をかけて例外的地位を築いた生産者もいる。ジェラール・ゴビー、マタッサ、マス・ジュリアンといった造り手は、30-40年の積み重ねの末に優れたインポーターの支援と有力ジャーナリストの評価を獲得し、“三つ星級”の名声を築いた。その延長線上に、75ユーロの価格がようやく成立するのである。「結局、鍵は品質の完成度、それを伝えるジャーナリズム、そして輸入業者の情熱にある。たとえば米国市場であれば、“200ドルのボトルを1,200本買う”という意思決定を担う存在が要る。ドイツの“グローセス・ゲヴェクス(GG)”の歴史も同じで、制度成立以前には“ドイツワインの可能性”という認識自体が希薄だった。今やバーデンのピノ・ノワールが75ユーロでも驚かれない。しかし、ルーションでは未だその価値が十分に市場承認されていない。」ワインラヴァーとしては、高品質なワインが手ごろな価格で手に入るのはこれ以上の幸福はない。

レンジ構成は明瞭だ。買いブドウを一部使用したエントリーのMar i Muntanya、続いて Esprit、そしてGrand Vin。このうち Espritでは、発酵直後から卓越性が明白な樽が生じた年に限り、当該ロットを独立させて限定キュヴェとして瓶詰めしてきた(2014、2018、2020 に各1度)。そのようなワインは素材の健全度が完璧なため、原則として亜硫酸無添加で臨むことがある。「ただし僕らは“反SO2”ではない。スタンスは一貫して”亜硫酸は使う、ただし控えめに、ごく微量。いわばmg単位の添加で、30年後にも美しく佇むワインを目指している。ボトル内に澱や欠陥を残さず、リンゴジュースやザワークラウトのような風味に傾けないための保険としての判断である。」ヨアヒムは続ける。「しばしば耳にする完全亜硫酸無添加に対しては、プロとして、あと1 mgの亜硫酸があれば見事に仕上がっただろうと感じる場面も少なくないが、哲学は人それぞれであり、人気や完売実績が伴う以上、私たちは他者を批判しない。トーマスも”亜硫酸無添加”に執着することはなく、果汁の健全性と安全な熟成の確信が得られるときにのみ無添加を選ぶ。同じ考え方は濾過でも同様。基本は無濾過を好むが、不安定な樽であればごく軽く濾過する。重要なのは無濾過・無亜硫酸といったキャッチフレーズに囚われず、良質で、長期熟成に耐え、健全で美味しいワインという唯一の目的に忠実であることだ。」

DATA

造り手:エマニュエル・マルタス、トーマス・タイバート、ヨアヒム・クリスト

国/地域:フランス/ルーション

栽培面積:16 ha